コインチェックのNEM流出騒動から3カ月弱が経過しました。その間、コインチェックは金融庁から2度にわたる業務改善命令を受ける一方で、400億円を超える、投資家の盗まれたNEMの補償を行い、当初停止していたアルトコインの取引も徐々に再開しています。そのような中、コインチェックはマネックス証券の資本援助を受け入れ、グループの傘下に入ることになりました。この報道を受け、マネックスグループの株価は急激な値上がりを見せています。
なお、この買収に伴い、「アーンアウト条項」というものが結ばれました。この条項は今後、仮想通貨業界においても起きるかもしれない、「大手企業によるスタートアップ企業の買収」において使われる可能性のあるものです。仮想通貨投資とは少し逸れた部分になりますが、「投資」というものを考えるにあたり重要な視点となりますので、1つの良い事例として解説していきます。
アーンアウト条項とは
企業のM&A案件において買い手と売り手の買収額の合意が定まらない場合に定められる条項です。定められた時期に定められた目標を達成した場合にのみ、追加で買収対価を支払うという条件が付与されます。無事目標を達成することが出来れば買い手は追加で報酬を受け取ることが出来ます。売り手側も、それだけの売り上げ、もしくは利益などの目標を達成することが出来た、ということを意味するためそれはそれで喜ばしいことです。ある意味でWin-Winを実現することが出来るスキームでありますが、仮に条件が未達であれば買い手は格安で買収を行うことが出来るため、買い手側にとってはいずれであっても有利に働くような条件でもあります。
ベンチャー企業の業績予想は業界によっては非常に難しく、売り手の予想と買い手の予想が一致しないこともしばしばあります。そのような場合に最初の買収額は比較的低めに算出した上、定められた条件をクリアした場合に追加の支払いを求めるといった形で折り合いをつけるのがアーンアウト条項です。
今回の買収額とアーンアウト条項の内容について
今回、買収額としてコインチェック側に支払われる金額は36億円と報じられています。おそらく、仮想通貨業界のニュースをチェックしている方から見ると、「安すぎるのではないか」という感想を抱かれた方も少なくないのではないかと思います。事実、コインチェックの2017年3月の決算によるとコインチェックの売上高は9億8000万円、営業利益は7億1900万円です。2018年3月の決算は現状、非開示とされていますが、利益率が非常に高いのみならず、仮想通貨がそれほど注目されていなかった2017年の数字ですらこの数字となると、数倍、数十倍といった数字が出ていても全く不自然ではないことは想像に難くないでしょう。
そもそも、流出騒動からわずか3日で400億円を超える「賠償金」を自己資金で返金するという決定を行ったことからも、騒動当時の売上、利益がいかに高いものであったかということが容易に推測されます。そう考えると、36億円だけでなく、何らかの追加支払いの条件が定められていたと考えても不自然ではありません。今回定められた追加条件とは、コインチェックが今後3年間で、当期利益が累計100億円を超えた場合、その半分にあたる50億円を上限としてマネックスが追加で支払いを行う、といったものになります。達成された場合、コインチェックが受け取るのは計86億円ということになります。
それでも安い?コインチェック買収のリスクと今後の展開
一見、割安すぎると思われた36億円の買収でしたが、アーンアウト条項によって、目標を達成することが出来れば追加で50億円の買収費用が受け取れることが条件づけられていました。しかし、前述のような状況を踏まえると、それでも支払額がまだ安いのではないかと感じられる方もいらっしゃるかと思います。しかし、日本ではあまり見られない条項を設定してまでこの条件で合意されている、ということはコインチェックとマネックスがこの金額が妥当、もしくはリスクを含めるとやむを得ないという判断を行ったということが示されています。とすると、どのようなリスクがあるのか簡単に纏めていきます。
①訴訟リスク
コインチェックはNEM流出騒動の後、流出したNEMを1XEM=88円強で返金を行いました。返金が行われた当初、NEMの価格は30円台と低迷していたこともあり、コインチェックの補償内容に納得した被害者も少なくなかったようですが、全員が全員納得したわけではありません。騒動が発覚した際のNEMは120円台であり、騒動によってNEMの価格が下がった(ことが容易に推定される)にも関わらずそのレートでの返金を行うことが納得いかないという方もいれば、ホールドしておきたかったにも関わらず強制的に利益確定が行われたことにより課税対象となってしまったことに対して不満を抱くという投資家もいるようです。(※返金されたNEMの課税に対する取扱いは協議中です。)また、NEMだけでなく、他の通貨の取引を凍結させたこと、およびその取引が再開されるまでの間、悪いことに仮想通貨全体の相場が暴落、低迷したことで資産を目減りさせてしまった投資家も少なくありません。その点に関して。コインチェックは責任の範囲外であるとの見解を示していますが、納得のいかないコインチェックユーザーが集い、「被害者の会」が立ち上がり、実際に訴状が提出されたり、といったことが行われています。こういった動きが今後拡大した場合、さらに、コインチェックに支払いの命令が出た場合のリスクは買収額に織り込んでおかなければならず、買収額の決定に考慮しなければなりません。マネックスはこの訴訟リスクを最大20億円と見込んでいるようです。
②コインチェックの業績を回復できないリスク
コインチェックは2018年3月の決算において、莫大な売上、利益を上げてきたことが容易に推測されます。しかし、仮想通貨市場最大の流出事件を、重過失によって犯してしまったコインチェックの信用が、取引を完全に再開したとしても、金融庁登録が完了したとしても、また、すぐに回復するというのは現実的ではないでしょう。現に、コインチェックが日本円の出金を再開した瞬間に、何百億円という単位での出金要請が1日で行われました。このような状況の中で大手企業に運営元が変わったとしても、元の規模の取引が行われるように仮になったとしても、少し先の話になることが予測されます。また、マネックスは、今後金融庁の認可を得るにあたり、ネックとなっていたDASHなどの「匿名性仮想通貨」の取り扱いを廃止するとしています。そういった部分からも、元々の業績と比べると当面は売上、利益の減少に耐える必要があることが分かります。
③仮想通貨市場そのもののマーケットリスク
仮に、コインチェックが今後も同様のユーザー数、取引量を回復、さらに増加に成功させたとしても、現在ビットコインの価格は最高値の1/3を超えたところ、という水準にまで落ち込んでいます。そのような相場が仮に続く場合、もしくは今後さらに低迷していく場合、今後予測される売り上げは悲観的に評価しなければなりません。
成長中の市場、企業へのM&Aにおいて適用されるアーンアウト
業績から考えると一見、安すぎるような印象を与えたコインチェック買収の発表でしたが、少し踏み込んでみると、アーンアウト条項という、日本ではあまり聞かない取り決めがされていました。さらに、コインチェックの今後の業績は必ずしも騒動以前と同水準、さらに成長していく保証はなく、様々なリスクを織り込まなければなりません。今後、仮想通貨業界に大手企業が参入していく中で、市場自体にも、企業にもリスクが孕んでいる可能性が高い中でこのような条項の適用は需要の高いものであり、今後も使われる可能性があります。市場や企業の成長を予測していく上で覚えておいて損はない単語かと思います。