仮想通貨の“怪しげな投機商品のイメージ”

仮想通貨の“バーチャル”のイメージとリアルビットコインやイーサリアムなどをまとめて呼称する「仮想通貨(virtual currency)」という概念が持つイメージは、インターネット黎明期にウェブの世界に対して持たれていた「仮想現実(virtual reality)」の怪しげなイメージに近いものがあります。「仮想(バーチャル)」という言葉の辞書的な意味は、「実際には無い事物だが仮にあるものとして考えてみること・仮にあるものとして想定すること」ですから、言葉の響きには「実際には存在しないお金・デジタルな数字で表示して仮に価値があるとされているだけのあやふやなお金」といった十分に信用できないイメージがつきまといやすいのです。

辞書的な意味にこだわると、通貨は「国家の保証と法律の定めによって一国内に流通する貨幣」だから、仮想通貨は国家・政府・銀行がその価値を法律で保証したり取引記録を管理したりしている「お金」ではないという反論もあり得ます。しかし、通貨には「流通・支払いの手段として機能しているお金(貨幣)」のより広範な定義もあり、仮想通貨の価値ははその意味では「お金」に近い価値を持っているといえるでしょう。

知識や経験がない人たちに多い「仮想通貨に対する怪しいイメージ」は、「仮想の言葉の持つイメージ」と合わせて「投機性(リスク投資)・バブル景気・詐欺事件」などによって作られています。一般的な信用・安心の低さは、お金が持つべき価値の機能である「商品交換の媒介物として一般に流通する価値ある貨幣(流通手段・支払手段)」という条件を十分に満たしていないからです。また、「買い物の支払い手段」として使っている人やお店が少なすぎるため、お金儲けの投機のための「実際にはない仮想のお金」という価値を持った見方をされやすいのです。

法整備によって“国も認め始めた仮想通貨のリアル性”

「物理的な紙幣・貨幣」がなく「デジタルな数字・お金」であるという意味では、仮想性(バーチャル性)の強い価値のお金と言わざるを得ません。しかし、国家・金融庁が「法規制の網」をかけ始めたということはその価値が、「リアルの社会・市場・人々(生活)に対する影響力」と「10兆円を遥かに超える時価総額(2017年10月現在)」の価値が大きくなってきたことを反映しています。日本では2015年まで技術的にも法律的にも政治に監督されていなかったのですが、2016年2月頃には金融庁を監督官庁として「広義の貨幣(貨幣そのものではないが財物的価値を持つもの)」としてその価値を認めようとする動きが具体化し始めました。

金融庁は、仮想通貨の価値にはその他の物品と交換できる「財物との交換機能」の価値があり、円・ドルなどの円と交換できる「お金との交換機能(投資対象としての実態)」の価値があることを公的に認め、2017年4月に施行した「改正資金決済法」では取引所に「登録制」が導入されました。取引所の登録制といっても、ただ申請すればどんな業者でも登録できるわけではなく、基本は「利用者保護のための規制」ですから、「1000万円以上の自己資本+経営管理・資金管理などの経営の透明性+金融庁検査(定期の立ち入り検査で不備があれば業務改善命令)・情報提供」が求められる最低限のルールが設定されることになりました。

物理的な価値のある貨幣ではない仮想性(バーチャル性)の強い側面を持つお金の価値なのですが、国家(政府)や企業もその価値が「仮想通貨のリアルな交換価値・投資価値・(時価総額と流通範囲)の規模拡大」を認めざるを得ないほどに価値の勢いが強くなっているのです。

仮想通貨は円・電子マネーとどこが違うのか?

仮想通貨・法定通貨・電子マネーからお金の本質を考えるビットコインなどの「仮想通貨」と国家が法律で定義して銀行が発行する「円」との価値の違いは、まず「物理的な貨幣(紙幣・硬貨)の有無」がありますが、その価値以上に「発行主体と権限ある管理者の有無」の違いが大きいでしょう。例えば、日本円の紙幣である福沢諭吉が描かれた1万円札(日本銀行券)の価値は、日本銀行(中央銀行)という発行主体があり、ドルやユーロなど各国の円にも国家・中央銀行の発行主体があって、その価値と信用力によって交換・債務弁済の価値が保証されています。対して、「発行主体(権限の強い中央の管理者・サーバー)」は存在せず、改ざん不可能な「ブロックチェーン」の技術を採用したプログラムによって、自律的・分散的に市場原理の価値にのっとって運用されています。

円との価値の違いとして、「お金の発行上限の有無」もあります。円はインフレリスクを無視するならば、中央銀行がいくらでも紙幣を印刷できる(国家が国債を中央銀行に売りつけられる)のですが、特にビットコインは「発行上限(2040年までに採掘が終わるとされる2100万BTCが上限)」があらかじめプログラムによって決められているのでマネーサプライ(お金の供給)の過剰によるインフレリスク(ただし価格変動する市場リスクはある)が抑えられています。それ以前の価値に仮想(バーチャル)のイメージを持たれやすいものとして、「電子マネー」がありましたが、EdyやSuica、WAONに代表される電子マネーの価値は現在ではすっかり市民権を得て普及しています。

現在、電子マネーのが方価値があると人々に信用されているわけですが、それは電子マネーの価値というのはその価値が「投資市場で価値が変動しない現金・円の数字のデジタル化(発行主体のルールによって一定期間以上使わないとチャージした金額が消失するリスクはあります)」であり、価値が減らないという安心感があるからです。

仮想通貨・円・電子マネーから見えてくるお金の本質とは何か?

「電子マネー」にはJR東日本やイオン、セブンイレブンなどの発行主体があり一定の責任を負っていますが、暗号通貨には発行主体がないという違いもあります。現金(円)と電子マネーの実質的な交換価値はほぼ同じものであり、その価値の差はただ「使える範囲(利用可能な店舗)+物理的なお金の有無・独自のポイント制度の有無」の価値だけです。暗号通貨と電子マネーとの大きな価値の違いには、「個人間の送金」ができるか否かもあり、管理者の銀行どころか国境さえも越えて低コストの個人間送金をすることができます。

仮想通貨・円・電子マネーの比較から見えてくるお金の本質とは、不特定多数の人々がそのお金に対して持つ「信用力+需要」によって価値が生み出されるということです。お金の本質的な価値とは、信用力と需要に支えられた「交換・流通・決済・価値尺度(価値のものさし)の機能が維持されていること」にこそあるのです。発展途上のお金ですから「信用力+需要」において、円(デジタル化した電子マネー)よりもまだ大きく劣っており、「流通範囲が狭いし信用しきれないから仮想通貨では対価を受け取らないという企業・店舗・個人」も非常に多いのです。発展途上であるが故にこれから「信用力+需要」を高めていける可能性があり、現在進行形で、投資商品としての性格を越えて「交換・流通・決済・価値尺度の機能」を高めようとしているのです。

仮想通貨は今後どうなっていくのかの予測

2017年4月に施行された「改正資金決済法(第三章の二の仮想通貨関連の条文)」によって、今まで曖昧なイメージで語られることの多かったのですが、「法的な位置づけ」が与えられ、利用者保護のための「仮想通貨・取引所登録に対する規制」が少しずつ強まり始めています。これまではこれらに対する法整備・法規制のニュースがでるだけで、国家・法権力による力ずくの締めつけを恐れた市場は反落し、価値は大きく減っていました。

しかし、これからは逆に「仮想通貨に対する適切なレベルの法整備」がされることによって、「仮想通貨にまつわる好ましくないイメージ(価値がなくなるのではないか・騙されるのではないかとの不安感)」が払拭されやすくなり、利用者は増えやすくなると予測されます。仮想通貨に対する不信感・不安感の理由の一つが、日本円(物理的な通貨)と比べて「流通・支払いの手段」として全く普及していないため、使えるお店がほとんどなく、そもそも一般の人が殆ど持っていないことがあります。利用者保護の法整備が進み、安心して取引できる取引所が増えれば、今まで持たなかった人が持ち始め、それに合わせて「仮想通貨で代金を受け取ってもいいですよという企業・店舗」が増えてくる可能性があります。

「仮想通貨を持つ人」と「仮想通貨で支払いのできるお店(サービス)」が相互に増えてくれば、「仮想通貨の一般の人に対する信用性・普及率」も急速に高まってきます。「電子マネー」は特定のチェーン店の系列でしか支払いできないことが多いですが、「仮想通貨」はお店が決済手段として認めれば国境すら問わないグローバルマネーとしてどこのお店ででも使える特長を持っています。さらにビットコインは、「2100万BTCという発行上限」があらかじめプログラムされていますから、「仮想通貨の需要増大・利用シーン(利用できる店舗とサービス)の増加・法整備による安心感」はそのまま「ビットコインの価値上昇」を引き起こすことになり、投資対象としての価値の魅力も増すでしょう。